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 第26回 西日本区大会
2023年6月10日(土)~11日(日)

​熊本城ホール・熊本YMCA本館・ホテル日航熊本

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ご挨拶

写真01_西日本区理事 田上 正 円 (002).jpg

ワイズダムへの日々のご奉仕に感謝申し上げます。

多くのワイズメンにご参加いただきたく、ここに第26回西日本区大会開催のご案内をさせていただきます。

主題「原点を知り 将来に生かす」を掲げて開催されます第26回西日本区大会に参加して良かったと思って頂けますように、理事キャビネットと実行委員会が一丸となって頑張っております。

どうぞ皆さま方の強力なご協力とご支援を心からお願い申し上げます。

第26回西日本区大会実行委員会

西日本区理事   田上 正

立ち上がれワイズ モットーと共に!

​Stand up Stand up Y’s men with our Motto!

1844年

イギリスでの産業革命が進む中貧富の差が広がったロンドンで過酷な労働にあえぐ若者を救済しようと青年ジョージ・ウィリアムスたちによりYMCAが誕生しました。

鎖国中の日本では、熊本藩士横井小楠は自宅に塾を開き政治思想家として活動し、坂本龍馬と勝海舟などといった幕末の志士たちに大きな影響を及ぼしていました。

1866年

小楠の甥二人を西洋事情を学ばせるため長崎から米国へ留学しましたが、その一人横井大平(たいへい)は留学中こころざし半ばで結核に倒れ帰国し明治維新に乗り遅れた肥後藩を立て直すため米国から南北戦争退役軍人キャプテン・ジェーンズを熊本へ招きました。

1871年

ジェーンズを唯一の教師として熊本洋学校が開校しました。

熊本洋学校は4年制全寮制で女性の入学も認め全て授業は英語のみで行われました。そのため若い生徒たちのなかには卒業時には米国カレッジ生徒の学力に匹敵する程の優秀さを示す生徒もおりました。

ジェーンズの高潔な人格とキリスト教信仰にふれた学生たちの一部にはキリスト教信仰にめざめます。

1875年

ジェーンズにより洗礼をうけた35名が花岡山へ登り「奉教趣意書の誓い」をたてるが、封建制が強い肥後ではキリスト教を未だ邪教とし、ジェーンズは解任、洋学校も閉鎖されました。

また、「奉教趣意書の誓い」を連ねた生徒たちの多くは迫害謹慎の身となりますが彼らの行く末を案じたジェーンズの計らいで京都同支社英学校へ移りました。

京都の町を闊歩する肥後出身の若者たちは後に宣教師たちにより熊本バンドと呼ばれるようになりました。そしてその熊本バンドのなかから日本でのYMCA運動での若き創始者たちが生まれる事になるのです。

1880年

小崎弘道は東京YMCAを24才で創立しました。

1882年

宮川経輝が25歳で大阪YMCAを設立ました。

1886年

原田助らの神戸YMCAの設立しました。

熊本バンドのメンバーたちが熊本洋学校で学んでいる頃江戸幕臣の子弟であった神田乃部は父親の勧めで若干14歳の時に米国のカレッジに留学しそこでYMCAの活動を知ります。

1897年

帰国後し日本のクリスチャン青年へ講演会を開きます。その若者たちのなかにキリスト教宣教に情熱を傾けていた小崎弘道ら熊本バンドのメンバーがおりました。

神田を通じて米国YMCAの事情を知った熊本バンドの小崎弘道(こざきひろみち)・宮川経輝(みやがわつねてる)・原田助(はらだたすく)達は日本でのYMCA運動の発足に想いいたりました。

1922年

オハイオ州トリードYMCAのポールアレキサンダー等によりイズメンズクラブを設立しました。

一方日本では大阪YMCAにて初代会長の宮川経輝牧師から成年時代に洗礼を受けた奈良傳(ならつたい)が米国YMCAでの研修中にワイズメンズクラブの活動を知る事になります。

1928年

奈良は帰国後日本で最初のワイズメンズクラブを大阪YMCAに発足しました。

しかし日本でのワイズ活動は第二次世界大戦時についたいと休止を余儀なくされます。

1947年

終戦後、都市部でのYMCAの復興とともに国際協会に復帰し、ワイズメンズクラブも次々に設立され、今日にいたっております。

​History

ホストクラブ
​熊本むさしクラブ

協賛クラブ

熊本クラブ・熊本ジェーンズクラブ・八代クラブ・熊本むさしクラブ・熊本みなみクラブ・熊本ひがしクラブ・阿蘇クラブ・熊本にしクラブ・熊本Nスピリットクラブ・
熊本水前寺クラブ・熊本五福クラブ

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